賀川豊彦先生が生涯に亘りみずから実践し、主張してきた精神に沿い、


本所賀川記念館の沿革
本所賀川記念館とは

本所賀川記念館の理念


本文へジャンプ

 本所賀川記念館の起源は、1923年(大正12年)の関東大震災に際し、賀川豊彦が被災者救援のため、神戸より東京本所の地に駆けつけてセツルメント活動を開始した時になる。この時、賀川豊彦を中心にしてこの活動に参加した人たちにより、本所基督教産業青年会が創られた。この同志的な団体は、その後、生活協同組合、医療活動、その他多彩な活動を展開した。今日、東駒形教会・光の園保育学校・中ノ郷信用組合が、この地にその歴史を担って活動している。

 本所賀川記念館は、1969年(昭和44年)、この地に建物が再建された際に、本所基督教産業青年会の志を継承して、民間の児童館活動、住民の地域活動を中心にその働きを再開した。この働きは、日本の児童館活動における一つの先駆的なものとなった。

 そして、賀川の精神を継承する社会福祉法人雲柱社に多くの人材を提供し、現在、雲柱社は児童館活動を幅広く展開している。

 行政の機構改革により、財団法人である本所賀川記念館にも、児童館の指定管理運営が委託されるようになり、現在、墨田区から墨田区立フレンドリープラザ東向島児童館、東駒形コミュニティ会館児童室、港区から港区立港南子ども中高生プラザ(愛称「プラリバ」)、港区立高輪子ども中高生プラザ(愛称「TAP])の指定管理を受け、活動を展開している。